
【#01 野坂光司先生】臨床に直結する骨代謝研究ができる喜び
本編に登場する論文
Intermittent administration of human parathyroid hormone enhances bone formation and union at the site of cancellous bone osteotomy in normal and ovariectomized rats
Koji Nozaka, Naohisa Miyakoshi, Yuji Kasukawa, Shigeto Maekawa, Hideaki Noguchi, Yoichi Shimada
Bone. 2008 Jan;42(1):90-7. doi: 10.1016/j.bone.2007.08.041. Epub 2007 Sep 14.
── 野坂先生が整形外科医を選んだきっかけを教えてください。
医学部卒業頃は、循環器内科か整形外科に行くかで迷っていたのです。
どちらもやりがいのあるアクティビティーの高い診療科だなと思っていました。
最終的に整形外科を選んだのは、研修病院の上司だった先生の人間性に非常に惹かれたからです。
この医師の世界は、どの診療科に行っても人間的な関係の方が大きいのかなという風に考えていて、それで整形外科を選択しました。
── なるほど。その後は秋田大学整形外科に入局されたのですね。
はい。私が入局した時は、先日、東北大学を退官された井樋 栄二教授の時代でした。
井樋教授の専門は肩と骨粗鬆症でした。
若手はまず大学で脊椎、肩関節を始めとしたスポーツ整形外科、股関節外科、腫瘍などを一通り経験した後、関連病院に行って研鑽を積むというのが医局の研修スタイルでした。
── 今回ご紹介いただく論文は大学院での仕事だと思うのですが、何年目から大学院に行かれたのですか?
卒後5年目に大学院に進学しました。
秋田大学整形外科では、全員が大学院に入学して研究をしっかりやり、まず研究者としての資質を高める。
それから臨床をしっかりやる、という運営が代々行われてきていて、皆例外なく、ほぼ私と同じようなルートで研修しております。
当時は肩スポーツ、つまり井樋教授のグループとリハビリテーショングループ、腫瘍グループと骨代謝のグループがありました。
実は、宮腰 尚久先生が米国ロマリンダ大学筋骨格疾患センターへの留学から戻られて、骨代謝ラボを秋田大学で立ち上げようという時期でした。
私は宮腰先生の骨代謝ラボの最初の大学院生になりました。
宮腰先生にはずっと感謝しております。
── 立ち上げメンバーだったのですね。結構大変だったんじゃないですか?
宮腰先生は非常に優れた方で、基礎研究ラボを立ち上げてグループを大きくしながら、脊椎の臨床もやられる方でした。
脊椎臨床と骨代謝基礎を両立してやっていくというのは物凄いご苦労があると思います。
東京慈恵医科大学の斎藤充教授もそうですが、臨床と基礎を両立されている物凄い方々ですね。

私は臨床能力を落としたくないからということで、社会人大学院になって一般病院に勤めながら週一回と週末に研究時間を使わせていただくことになりました。
ベッドフリーで研究して軽い外来外勤がある大学院生の他にこういう社会人大学院生という枠があったのです。
正直、普通のベッドフリーの大学院生になれば良かったと後悔していました。
やっぱり大学に入る時は研究を舐めていました。
基礎研究の大変さを全く分かってなかったですね。
── この論文で扱っている副甲状腺ホルモン(PTH)製剤というテーマはどのように決まったのでしょうか?
PTHは秋田大学が代々研究してきたテーマなのです。
私が2003年に大学に入学した時代は、もしかしたらPTH製剤が臨床現場に出てくるかもと言われていた頃で、その時に宮腰先生からPTHと難治骨折について研究してみようって言われた私は本当にラッキーです。
臨床に直結できるような、自分の興味のあるテーマを与えていただいたので非常に嬉しかったことを覚えております。

骨折治癒をPTHが促進することができるということを科学的に証明できれば、ものすごい臨床現場の武器になるだろうなと朧げに感じていました。
研究をやればやるほど、臨床に役立つことをやっている、もっと深く研究したいという気持ちが強くなっていきました。
── 先生の論文はPTH製剤の海綿骨への影響に注目されているのですね。
おっしゃる通りで、私の研究のキモは海綿骨の骨折治癒メカニズムですね。
宮腰先生が臨床ミーティングでも良くおっしゃるのが「なぜだ?そのメカニズムは何なのか?」ということで、大学院生時代は叩き込まれていました。
なぜ海綿骨の骨癒合が促進するか?
そのメカニズムを細かく細かく追求していった結果、出来上がった研究です。
つまり、前駆細胞から脂肪細胞と骨芽細胞に最後に分かれていく、その分化の過程で、PTHを投与した群は、脂肪細胞から骨芽細胞の方に、細胞がシフトして増殖細胞量が多くなっていることが、ラットの組織と免疫染色の研究からわかったのです。
今まではっきりしなかった骨芽細胞が活性化するメカニズムを突き止めた研究です。
── この研究で一番大変だったことは何ですか?
一番大変だったのは海綿骨骨折モデルの作成ですね。
脛骨を関節面からボーンソーで切り込みをいれてワイヤーで固定するのですが、このアイデアが宮腰先生から頂いたものです。
その手術を成功させるまでに一年ぐらい掛かったのです。
宮腰先生のアイデアで実現したものですが、未だに良い海綿骨骨切りモデルだなと思っております。
この手法で私は卵巣摘出モデルの研究をしましたが、ステロイドモデルにしたり不動化モデルを作ったり、、、多くの研究者が使った手法です。
もう10年以上経ちますけど、秋田大学ではいまだに使われている海綿骨骨切りモデルです。
── 掲載されたジャーナルはBoneです。
目標として狙っていたのでしょうか?
そうですね、Bone掲載は目標にしていました。
海外留学してBoneに載るのはそんなに難しくないかもしれない。
国内の小さな秋田大学からBoneに掲載される基礎研究ができるようになろうって宮腰先生に言われていて、
その掲載までも本当に宮腰先生や直属の上司である粕川雄司先生のご指導のおかげ掲載させていただくことができて、もう本当に掲載が決まった時の嬉しさは今でも忘れられないです。
── 皆の想いが詰まった論文だったのですね。
宮腰先生ラボの一人目の大学院生だし、この先骨代謝グループの未来が掛かっているというプレッシャーもありましたね。

── こんな良い基礎研究の論文を出したら、その後も基礎研究を専門でやっていこうと思いませんか?
今もBoneに載るような基礎研究をしたいなって思いますが、なかなかそこまで。
やはり宮腰先生や斎藤充教授のように臨床と基礎研究を両立させた優れた業績を積んでいく先生は凄いです。
私はすっかり臨床に偏った生活になっています。
── 大学院を卒業された後は大学で臨床を続けていらっしゃったのでしょうか?
卒業して1年だけ大学にいて、そのあとは関連病院に出させてもらいました。
やっぱり一般外傷を中心に整形外科医としてまだまだでしたので、まず手術が上手にならなくてはと思ってお願いしていました。
── その頃に外傷を専門でやろうっていうのは決めていたのでしょうか?
決めてないです。
私が外に出て3年目の時に島田洋一教授が就任されました。
外傷や足の外科、そして難治骨折、、、秋田で困っている患者さんたちをイリザロフで救えるようにしろ、と急に言われました
外傷というよりは、イリザロフ創外固定をやれと言われたんです。
#02に続く
こちらの記事は2021年8月にQuotomyで掲載したものの転載です。