手術室でも医局でもない、
外科系医師に開かれたオンラインでの研鑽場所

【#01 讃井將満先生】押しも押されぬ臨床能力を身につけたい

本編に登場する論文

── まず讃井先生が麻酔科・集中治療を志すに至った経緯を教えてください。

私が旭川医科大学を卒業し、その当時としては珍しくスーパーローテーションを採用していた麻生飯塚病院へ初期研修医として入職しました。
実は内科医になる気満々でしたが、最初の1ヶ月で内科は性に合わないと気づき、さぁどうしようかと考えていました。
その時、次のローテーションする診療科が麻酔科だったのです。
麻酔科のダイナミックで直ぐに答えが返ってくる点に惹かれました。
例えば、昇圧剤投与とか換気設定を変えるとか、そうすると30秒から1分くらいで反応があるので、その点がダイナミックなんです。
そして、オンとオフがはっきりしている点も自分としては良かったです。

── スーパーローテーションを採用していた麻生飯塚病院で初期研修を過ごそうと思った理由は?

もともと大学病院で初期研修を行うことに疑問を持っていたのですね。
それよりも市中病院で臨床医として実力をつけたいという思いがあり、鉄は熱いうちに打てという気持ちで、初期研修は一流の臨床研修病院でやりたいと考えていました。
その当時はスーパーローテートができる施設は少なかったのですが、たまたま決まったところが麻生飯塚病院だったのです。

── 初期研修後は麻生飯塚病院で麻酔科として働くのでしょうか?

あの頃は、大学に戻ったり、人によって進路は色々でしたね。
ただ、初期研修から麻酔科として残る人は多くなかったですね。
私は、押しも押されぬ臨床能力を身につけたいという理由で、学生の頃から米国で臨床医として働きたいと思っていたのです。
今ほど米国での臨床研修に関する情報は無かったのですが、少し出始めていた本などで情報収集をしていました。
学生が終わった頃にUSMLE試験なども受けていて、最終的にはどこかの段階で米国に行きたい。
ではいつが良いか、いろいろ情報を集めていくと、専門医を取得した後が良いという結論に至ったんですね。

── なるほど。

その頃はまだ麻酔科にいくか迷っていて、研修医として色々な診療科をローテートする間に、外科や脳外科も良いなと思っていたり、、、ローテート先の診療科で楽しかったりするものです。
医師3年目はどうしようか考えたときに、外科系に行くにしても、まずは基本的な蘇生や全身管理の技術を学ぶべきじゃないか、と。
まずは麻酔科標榜医をとるのが良いと考えて、2年間麻酔科をやってみることにしました。

── その後、自治医科大学附属さいたま医療センター麻酔科へ入局されたのですね?

はい、入局してはじめて麻酔科医として働きはじめたのは千葉県にある新東京病院でした。
そこで当時、麻酔科部長をされていた小西晃生先生に出会って薫陶を受けました。
また、順天堂大学心臓血管外科教授の天野篤先生も新東京病院で活躍されていました。
主に心臓手術の麻酔を担当することが多かったのですが、私が麻酔をしながら天野先生に質問をぶつけると、執刀中にも関わらず非常に丁寧に教えてくれる教育的な姿勢が印象的でした。
こうしてお二人を初め多くの先生方に日々ご指導頂くなかで、改めて麻酔の面白さに覚醒めていきました。
一方で、手術麻酔の面白くない点にも気がついてしまったのです。

── それは何でしょうか?

それは、麻酔科医は患者さんとの関わりが比較的少なく、麻酔終了と同時にその主な役割は終わってしまうということです。
重大な事故があると凄く責任を問われる一方で、普段は何もなくてそのままお返しする。
麻酔を通じて状態の変化をゼロのまま返すわけで、患者さんに対して何かプラスをとなることをしていない訳です。
当然ながら、これが手術麻酔に託された任務であることは間違いないですけれども。
こういったこともあり、集中治療の楽しさに惹かれるようになってきました。
例えば、ICUに入院しているショックの患者さんに対して、適切な全身管理を行って救命することができたときには、マイナスの状態からゼロあるいはプラスまで持っていくことができます。
こうしたかたちでICU患者と向き合うことに楽しさや喜びを感じていき、進路が絞られていきました。
当初は麻酔科標榜医をとったら外科医になることも考えていたのですが、麻酔科をベースして将来的には集中治療の道に進もうと思うようになりました。

── 新東京病院では、麻酔科医が集中治療に関わっていたのですか?

当時は集中治療専門医は少なかったし、専従の集中治療医がいるICUは現在よりもずっと少なかったです。
新東京病院でも麻酔科はICU管理には関わっておらず、主に主治医が術後管理などをしていました。
集中治療へ傾いていた私は、頻繁にICUへ出向いては心臓手術の患者さんの術後管理について天野先生をはじめ、心臓外科の先生方に色々教えて頂いてました。
天野先生とは手術中も密接にコミュニケーションを取って、「なんでこうしたんですか?
」とか質問すると教育者なので一つ一つ丁寧に答えてくれるんですよ。

── では、麻酔科の業務というより自ら集中治療に首を突っ込んでいったのですね。

そうですね。
次第に、心臓外科の先生の 信頼を勝ち得ていって、「人工呼吸器の設定はどうしたら良いか?」など、逆に聞いてもらえるようになり嬉しかったですね。
新東京病院にいたのはたった1年間だけでしたが、自らのその後のキャリアを決めることになった濃厚な1年でした。
天野先生は天皇陛下の手術をされたくらいですから技術もあるし、視野も広い方です。
そして、教育者としての言葉に重みがあって、今でもその当時教えて頂いたことははっきりと覚えています。

── その後は、自治医科大学附属さいたま医療センターに赴任されます。

もともと飯塚病院から妻の実家である埼玉県周辺で働ける場所を探していて、自治医科大学さいたま附属医療センターに所属したのです。
そうしたら、教授から1年間は新東京病院に行ってくれと頼まれて、天野先生たちとの出会いがあったのですね。
大学のローテーションですが、非常に良かったです。

── その後、米国へ臨床留学へ旅立たれることになるのですが、医局の理解はあったのでしょうか?

医局へは最初から、ここで専門医をとって、いずれは米国で臨床をやりたいんだ、と話していました。
医局は、それに対しては凄い理解があって、応援してくれていました。
当時の教授でいらっしゃった瀬尾憲正先生や准教授の村山隆紀先生をはじめとして上の先生方は、自由でオープンな考え方をされており、何かを成し遂げたいという若い人には「やってこい!」というマインドを持たれていました。
私も同じ立場になってきましたので、その考え方をしっかりと引き継いでいきたいと思っています。

── アメリカ臨床研修への申請はどうされていたのですか?

当時のUSMLE Step 2までと英語試験には卒後3年目に合格することができていました。
その後は色々な病院に履歴書を送ったり、ツテを頼りにどこか受け入れ先がないか探していました。
その頃、中学と高校(筑波大附属駒場)の同級生だった腹部臓器移植外科医の加藤友朗先生(現・コロンビア大学医学部外科学教授/コロンビア大学付属ニューヨーク・プレスバイテリアン病院肝小腸移植外科部長)が、当時マイアミ大学で勤務していて、フェローからアテンディングになったところでした。
彼がマイアミ大学の臓器移植麻酔フェローのポジションが空いているらしいと教えてくれたのです。
それで、面接に行ったところ、運良く採用してもらい、まずは臓器移植麻酔のフェローとしてマイアミでの勤務をスタートしました。
最終的にはアメリカの指導医として残りたいという気持ちもあったので、正式なボードから承認を得るためにレジデントからトレーニングをする必要がありました。
それをプログラムディレクターに相談して、麻酔科レジデントへプログラム変更してもらいました。
臓器移植麻酔のフェローを1年間やった後、麻酔レジデントを4年間やって、次いで集中治療のフェローを1年間やった後、日本へ戻ってきました。

── 加藤友朗先生も非常にご高名な先生ですが、先生とお友達だったのですね!

加藤先生とは高校の時から仲が良く、大学進学後も時々コンタクトをとる間柄でした。
私は旭川医科大学に通っていたのですが、大学時代に彼が北海道に来て、スキーに行くために私のアパートに1週間くらい寝泊まりしていたのを覚えています。
大阪大学で外科研修を終えた後、マイアミ大学へ行くことになったというのは、以前から聞いていました。

── マイアミでの生活はいかがでしたか?

とても快適でしたよ。
温暖な気候のため長袖が必要になるのは1年間で3-4週間くらい、コートが必要なのはそのうち数日だけでした。
ラテン寄りな地域で、英語よりもスペイン語のネイティブスピーカーの方が多い地域ですから、みんな外国人という雰囲気もあり気楽でした。

── 日本で麻酔科医をされてから渡米して、実臨床的に困ることはありましたか?

英語は困りましたけど、新東京病院での心臓麻酔経験や麻酔科専門医取得などを経てから渡米したので、循環呼吸生理の知識や麻酔に必要な手技については、ある程度自信を持っていました。
臓器移植麻酔はやはりダイナミックな麻酔管理をしなくてはならない。
英語は満足には話せないが技量はある人間だと直ぐに示すことができたので、現地の先生からもそれなりの信頼を得られたのではないかなと思っています。

#02に続く

こちらの記事は2022年1月にQuotomyで掲載したものの転載です。