
【斎藤充先生 #01】自作でコラーゲンの未熟、成熟、老化を解析する装置確立
本編に登場する論文
Single-column high-performance liquid chromatographic-fluorescence detection of immature, mature, and senescent cross-links of collagen
M Saito, K Marumo, K Fujii, N Ishioka
Anal Biochem. 1997 Nov 1;253(1):26-32.
── よろしくお願いします。まずは先生が整形外科を志した理由からお伺いしたいです。
私の両親と祖父は歯科医でした。
父は開業医でしたから、私はそれを継ぐつもりでした。
私立暁星中学に入ったんですけども、その時にサッカー部に入ってからはサッカー漬けで、笑。
ケガをすることも多くて、その時に出会ったスポーツ整形外科の先生の影響もありました。
同時に、その時のサッカー部の監督が「お前はスポーツドクターになれ!サッカー協会で活躍された慈恵医科大学の大畠先生に俺も昔世話になったから」と突然おっしゃって。。。
全くその考えは私にはなかったんですけど、実際に大畠先生の活動に触れるにつれ、スポーツ選手がケガを治してどのように現場に出ていくかをマネージメントするという事にすごく興味を持ち出して、整形外科っておもしろそうだなと感じました。
── 勉強はお好きだったんですか?
実は暁星サッカー部が黄金時代に身をおいていて、私も中3と高3でレギュラーとして全国大会に出て国体東京代表の副キャプテンも務めていました。
そうすると毎日朝練夜練ですから、勉強する時間がなくて、、、。
他人がやってる通りに勉強していちゃ絶対勝てないし追いつけないと思って、自分を追い込んで勉強もやってましたね。
── 本題とはズレてしまいますが、他の強豪校と比べて暁星サッカー部の強さの秘訣はなんなのでしょうか?
林先生という暁星サッカー部の名物監督がいるんですけども、その先生が体育教師として赴任し、暁星のサッカー部を中学・高校で全国優勝させるというプロジェクトが始まったのです。
その第1期生が中学3年生、私が中1の時に東京代表になり全国大会に出場したんですね。
でも最初は当時の強豪校にはなかなか勝てませんでした。
もやしっ子、とか、お坊ちゃん校みたいな事を言われて悔しい思いもしました。
けれども、狭い練習グランドでワンタッチツータッチでサッカーをやるようなスタイルを追求して、大きく蹴るサッカーをしていた強豪校にもだんだん勝てるようになりました。
サッカーマガジンとかに「もやしっ子返上」とかいって取り上げられたり。
── すごい面白い話です!
大学の時もずっとサッカーをやっていました。
5年生の時に試合中に膝の後十字靭帯を損傷してしまい、それで引退しました。
── 医学部後半から医師になる時期には、ポリクリや臨床現場にでて将来の選択肢が広がると思うんですけど、整形外科を目指す思いが変わることはなかったんですか?
学生のときも一生懸命いろいろな分野を勉強してたんですけど、ポリクリでも「整形行きます、スポーツ医学やりたいです」みたいな感じでローテートしていたので、初志貫徹して整形外科への入局を決めました。
そのあとは、僕らの頃はもう初期研修が終わったら、すぐ大学院でした。
── 大学院で、今回の論文に登場するhigh-performance liquid chromatographic-fluorescence(HPLC)システムを開発されたのですね。
初期研修が終わって直ぐに大学院へ進み、完全に臨床現場から離れました。
東京慈恵医科大学のDNA医学研究所(現・総合医科学研究センター分子遺伝学研究所)に行って、そこの4年間でHPLCを作り上げました。
ちょうど大学院制度が変わり、整形外科の臨床を行いながら研究を行うという制度から、臨床から完全に離れて基礎教室にいくか国内留学いくか、という時期だったのです。
病理や画像解析の研究をしている整形外科医はいたけど、それ以外に大学院にいく整形外科医はいなかったです。
医局としても整形外科のためにならないならダメだって言われてたんです。
私は大学院で勉強したかったし、サッカーが無くなり自分に自信持てるものがなくなったと思っていました。
大学院に行って、これだけは他には負けないという何かを持ちたいなと思って、、、
最初は医局内の反対を押し切って、最後は当時教授の室田景久教授に許可をいただくことができました。

特にここに行けと言われることもなかったので、大学院の共通カリキュラムという最初の3か月いろんなところまわるシステムがあったのですけど、その中で面白そうにタンパク質の分析化学をしている先生がいるなと思ってDNA医学研究所を選んだのです。
大学院の直属の上司であった丸毛啓史先生(前教授)が「色々なコラーゲンの成熟から老化まで調べられるみたいよ」と言ってHPLCの論文を持ってきて興味があったところ、慈恵医科大学からJAXA宇宙科学研究本部教授になられる石岡憲昭先生がたまたま自前で持ってたHPLCが一個余ってて、ですね。
HPLCをアミノ酸分析で使いたいなら使っていいよって使わせてくれたんですね。
自分で試行錯誤してコラーゲン分析ができる条件を見つけたのに2年ぐらいかかりました。
カラムと2種類のバッファーを使って、どの時間にどれぐらい混ぜて流れを変えて、、、カラムにくっついたものから、コラーゲン中の分析したい物質をカラムから順序よく他の物質と分けて出せるかどうか、、、というのを試行錯誤してました。
── その試行錯誤に仮説ってあるんでしょうか?
とりあえず色々試すっていうイメージなんでしょうか?
これまでの論文を読んで、この物質はpHがどのぐらいでクロマトグラムから出てくるであろう、とかは何となくイメージができます。
そこからカラムから剥がれ落ちてくるような設定を少しずつ変えてですね。
「あ、出てきた。出てきた。」
「分離したひとつのピークになったものができた。嬉しい!」。
それの繰り返しです。
── すごい時間のかかる作業だったと想像します
完全肉体労働。
暁星でキーパーやってた時と同じです。
地道にやるだけです。

── 当時、AGEが骨粗しょう症分野において非常に大事だって仮説はあったんでしょうか?
AGEと骨との関係には誰も注目してなかったんですね。
うちの教室では藤井克之教授がコラーゲンをやっていたのですけど、AGEについては全くやってなかったです、
酵素性架橋という、酵素の働きによってできる未熟架橋と成熟架橋という分析が主だったんですね。
けれども、コラーゲンの架橋自体がそんな生理学的に意味があるわけないだろう、って世界中から言われてましたね。
先々代の教授の藤井先生と東大の織田先生(現:埼玉医大)達のチームだけで盛り上がっていた研究で、その後は誰もやらなくなっちゃったんですね。

すると、藤本大三郎先生という生化学の先生が成熟架橋のピリジノリとかデオキシピリジノリンの原型を世界で初めて発見したんですね。
それでコラーゲンは成熟するとこれらが増えるとわかったのですが、老化の過程では増えないし、骨粗しょう症とはまた別のものが関係してるあるかもしれないと思われてたのです。
全く違う研究分野に老化は全てAGEで説明できるという学問分野がありました。
その人たちがペントシジンなどが原因で老化や動脈硬化が進む、とかを研究されていて、、、全く異次元の相まみえる事のない分野で研究が進んでいました。
私はその2つ(コラーゲン酵素性架橋とAGE)が合わさって初めてコラーゲン機能が発揮されるだろうと考えていました。
これを単一のシステムで微量なサンプルから測定可能な装置を作れないかと思って、HPLCを確立しました。
── 先生が異分野で注目されていたAGEを持ってきたっていうのは本当に凄いです。
大学院生活でコラーゲンの研究に没頭している時はついつい狭い領域を深堀りしちゃうと思うんですけど、異分野の知見をキャッチアップする習慣があったのでしょうか?
はい、自分の興味のある事だけではなく、全く興味のないような分野もチェックするように心がけています。
例えば、学会で自分の興味のあるセッションだけ参加するんじゃなくて、違うセッションが行われている会場にも修行のように入って、、、そのプレゼンの仕方だけ学んだり。
その中で、こういう事とこういう事がつながってるかもしれない、のような妄想をふくらませるようにはしていました。
私も若い頃には引き出しがあまりないので、生活習慣病で骨のコラーゲンが錆びて骨折する、なんて想像は全くしてなかったんです。
それが引き出しが増えていくうちに、何か動脈硬化性疾患がある人は骨密度と関係なく骨が折れやすい。という気づきがでてくる。
「あれ、骨のコンクリートであるカルシウムじゃなくて、鉄筋部分のコラーゲンが重要なんじゃないかって」
つながったんですね。
── すばらしいです!
あとは、実際に機械を作るっていう発想もなかなかできないと思ったんですけども。
そうですね、HPLCというおもちゃを与えられていましたから、笑
AGEもコラーゲンと同じアミノ酸からなるので、加水分解してアミノ酸分析にかければ、どっかに出てくるはずだと思って、そこのピークが出る条件を何千回とまあ試行錯誤して、あの分析ができるようになったわけですね。

私も本当はコラーゲンの研究やりたいって思ってたわけじゃないです。
もうひたすらに与えられた研究テーマをやるしかなかったですね。
同期だとか上の先生で華やかに基礎研究分野で活躍する先生たちを横目に、僕はコラーゲンという誰もやらなくなった研究を藤井先生から言われて、、、それしかやる事がなかった。
他の皆がすごい華々しく、ノックアウトだとかトランスジェニックを用いた学会発表をしていたのに、私はいつも質問もでないようなポスター発表でした。
── ゲノム研究が注目されていた時代の中で、悔しい思いがあったのですね
そうですね、
でも、多分そっちに行ってたらその業界のワンオブゼムでシンポジストの席も与えられない状況になっていたと思います。
僕は誰も興味を持たない、研究に体力のいるタンパク質科学でしたので、海外を含めて本当に数チームぐらいしかこの研究をやってなかったです。
誰もやってきませんでしたので、英文にすればどうにかなるんじゃないかという風には思っていました。
もうこれしかなかったので。
ただ面白いとは思っていません。
もうサッカーの時と同じです。
サッカーも面白いと思ったより苦しいだけだったんですけど、まあそれに比べればこの実験の苦しいのもまあ修行みたいなものです。
その当時は何かよくわからないけどデータだけ出てきてたっていう感じですね。
誰も追いかけてこなかったので、とにかくもうデータの引き出しはどんどん増えていきました。
また、論文もすごい読みましたので、この分野に関しては長年積み重ねた知識とその論文にしてないようなデータだとかもありますので、どんな質問が来ても想定の範囲内でしたので困らない。
この分野で結果としては良かったなと思います。
── これから研究をする若者に良いメッセージになりそうです
興味がある研究分野に行くよりも、もう興味が全然ない、こんな事やって意味があるのか?と思われるような事をやらされてる時こそチャンスです。
一生懸命全部ノートにとってください、一つとして無駄な結果になりません。
将来自分を救ってくれる引き出しになります。
とにかく一生懸命やって、ひとつの山の頂上に上る。
そういうことをやってれば色んなことが繋がりだして研究が面白いと思えるようになります。
あと、臨床をやってないと患者さんのデータが何かおかしい!と気づくことができないです。
動物だけ相手にしてるとわからないことが臨床医にはわかりますから。
臨床の気づきを研究に展開できるという面からも、やっぱり臨床にふれながら地道に自分の研究を続けていってください。
── この論文が掲載されたAnalytical Biochemistoryはインパクトのある雑誌だったんでしょうか?
分析系の雑誌では当時これがトップジャーナルだったんですね
これに何とか出そうという話になって、、、ただ当時はまだウェブ投稿がない時代です。
4部ぐらい印刷して、それを編集部宛にエアメールで送って、1か月ぐらいして届きましたっていうハガキがちょろっと来て、、、そんなやりとりが必要な、ものすごい時代でしたね。
── しんどいですね。。。
実験も体力が必要でacceptまで漕ぎ着けるにも胆力が必要ですね!
分析系で歴史のあるジャーナルだったおかげで、その後の論文でコラーゲン分析で本手法を記載してもreviewerから文句言われたことはないですね。
分析自体も最初は大変でした。
僕が確立したHPLCは鉛をつかうバッファーなので、すぐに析出したものが詰まったりして壊れたんですよ。
途中で止まって圧が上がっちゃったりしたらピーピーなってサンプル全部だめになっちゃうので、なので当時はHPLCの脇にずっと泊り込んでました。
僕が大学院の時はそういう大変な時期だったんですけど、今は教室に高精度のLC-MS/MSという高精度の分析装置を導入しましたので、安定して多くのAGEの構造体を測定できるようにしてくれました。
あらゆるAGEとコラーゲン分析も同時にはかれます。
それが今度中心になっていくと思います。
#02に続く
こちらの記事は2020年12月にQuotomyで掲載したものの転載です。