手術室でも医局でもない、
外科系医師に開かれたオンラインでの研鑽場所

【#01 橋本悟先生】小児の集中治療とは

── 麻酔・集中治療を選んだきっかけを教えて下さい。

本当にたまたまと言ったところです。
私は1981年に京都府立医科大学を卒業しました。
当時は2年間の研修期間はなく、皆卒業してすぐに入局していました。
麻酔科の他に精神科、放射線科と悩んでいました。
というのも、研究をしてみたいと思っていたので、ある程度は時間的な余裕のあるところにしたいと考えて、この3つを考えていました。
散々悩みましたが、最終的には教室の雰囲気とかで自分に合いそうと感じた麻酔科にしました。

当時の京都府立医科大学麻酔科は弱小で総勢10名しかいませんでしたが、少人数だからこその和気あいあいとした雰囲気も良かったですね。
今みたいに朝から晩まで手術をやっているというほどではなく、麻酔科として最初の数年間は比較的ゆったりと過ごしていました。
ただ、その中で衝撃的だったのは、そのころ集中治療という概念が京都府立医科大学附属病院には全く無かったことでした。
現在からは考えられないですが、心臓手術後患者も病棟で管理していました。

── その頃、小児集中治療室(PICU)の設立に携わられたのですね?

京都府に新しくこども病院を作ろうという動きがあり、京都府こども病院(現・小児医療センター)が京都府立医科大学附属病院の敷地内に建てられました。
そこにPICUが作られて、当時研修医2年目の私と上司の2人が勤務を命じられました。
これが私にとっての集中治療との出会いでした。
PICUに関してはすべてが初めてでしたから、まずは国立小児病院(現・国立成育医療研究センター)へ教えを請いに伺いました。当時いらした三川宏先生と宮坂勝之先生に、小児での人工呼吸器の使い方をはじめとして様々なことを教えて頂きました。
そこで学んだことすべてが新鮮で「小児の集中治療というのがあるんだ!」と、すごく衝撃をうけたのをまるで昨日のことのように覚えています。

そして、麻酔科4年目になったとき初めて大学附属病院から出向するということになり、大津市民病院の集中治療室(ICU)での勤務を命じられ、2年近くそこで1人室長をやりました。
その後大学に帰ってきたところで、新しく京都府立大学附属病院で今度は成人ICUを作るから設計などをやってくれないかと頼まれました。

橋本悟先生ご提供:1986年大津市民病院ICUでの勤務の様子

そのため1988年から2年間くらいかけて、東北大学大阪大学名古屋大学へお邪魔して、どういったICUにしたらよいか、当時の高名な先生方から色々とアドバイスを頂きました。
そして1990年にスタートさせたのが、現在の京都府立大学附属病院集中治療部です。
初代マネージャーとして就任して、それ以来31年間そこにいるというわけです。
このように入局したのは麻酔科でしたが、キャリアのほとんどは麻酔ではなく、もっぱら集中治療に従事してきました。
また、2006年から医療情報部長も兼任しております。

── 卒後10年も経たないうちにPICU・ICUを立ち上げられたというお話には驚きですね!
先生の著書である『KPUM小児ICUマニュアル』も、その際の経験をもとに作成されたのでしょうか?

特にPICUでの勤務を始めた頃はマニュアルになるようなものがなく、国立小児病院の先生方に教えてもらいつつ、手探りでなんとかやっていました。
私がその頃にあったら良かったと思うマニュアルと作ろうと、1990年くらいまで掛かってそれまで蓄積してきたノウハウを書籍化したものがKPUM小児ICUマニュアルです。
初版を出版社に持ち込んだ際は、「この本は売れません」と言われてしまい大手5社から断られてしまいました。
諦めかけていたのですが、その頃の教授であった宮崎正夫先生が「損になってしまったら申し訳ないが、騙されたと思って出版してくれないか」とある出版社に頼んでくださりました。
当時でも1冊出版するには2000万円ほどかかりましたから、「それを回収するには1万冊は売れないといけないけれど、この本にそれほどの価値がありますか?」とやはり言われてしまいましたが、こういったマニュアルは全国のPICUで必要とされると信じていましたので、どうにか出版に漕ぎ着けました。
今ではおかげさまで第8版まで出版を継続しており、数万冊売れています。
全国どこのPICUに行っても必ず置いてあるようで、それを見るたびに内心ほくそ笑んでいます。

── 基礎研究はいつ頃から開始されたのですか?

入局1年目から週1日研究日を頂いていました。
師事していた先生は、聡明かつエキセントリックで非常に物理が好きな方でした。
初日に渡された課題が「ラプラス変換」についてでした。
そんな用語聞いたこともなかった私はびっくりしましたよ。
というのも、この先生は京都大学の大型計算機センターに出入りされて、プログラムを組んで研究をされていたのです。
最初に取り組んだ研究は、ニトロプルシドとフェニレフリンを使ったコンピュータコントロールによる自動血圧制御についてでした。
脳神経外科手術の全身麻酔中に、血圧が上昇したらニトロプルシドを投与、血圧が低下したらフェニレフリンを投与するというプログラムを組みました。

── まさに自動麻酔の先駆けですね!

こういった研究をしては、日本集中治療学会から派生した日本麻酔集中治療テクノロジー学会に発表をしていました。
巷では麻酔集中治療”オタク”ノロジー学会なんて言われていますが、今では私がこの学会の事務局を務めており、テクノロジーを手術室やICUでの臨床に活かしていくための活動をしています。
このように、初めのうちは循環に目が向いていたのですが、その後週数回、京都府立大学の生理学教室へ出入りするようになり、イヌを使った基礎実験に取り組みはじめました。
そのうちにだんだん呼吸というのも面白いなと思い始めてきましたね。

#02に続く

こちらの記事は2021年8月にQuotomyで掲載したものの転載です。