
【松山幸弘先生 #02】革新的な胸椎後縦靭帯骨化症手術を考案
本編に登場する論文
Indirect posterior decompression with corrective fusion for ossification of the posterior longitudinal ligament of the thoracic spine: is it possible to predict the surgical results?
Yukihiro Matsuyama, Yoshihito Sakai, Yoshito Katayama, Shiro Imagama, Zenya Ito, Norimitsu Wakao, Yasutsugu Yukawa, Keigo Ito, Mitsuhiro Kamiya, Tokumi Kanemura, Koji Sato, Naoki Ishiguro
Eur Spine J. 2009 Jul;18(7):943-8.
── 先生は名古屋脊椎グループ(NSG)を立ち上げられ、2007年に特定非営利活動法人(NPO)の認定を受けています。
多施設研究をたくさんpublishしている素晴らしい研究グループですが、発足したのはどういういきさつだったんでしょうか。
あの頃は研究というと、どうしても大学に偏っていたんですね。
自分の病院では脊椎手術をやっていないけれど、脊椎外科に興味がある若手医師が結構いることに気付きました。
名古屋大学主催の研究会の場で、若い先生が集まり、症例発表、そして討論を活発に行っていました。
ただその若手医師たちが勤めている病院では年間脊椎手術が少なく、症例報告はできてもまとまった症例を集めての研究はできない。
これを解決しようと思い、脊椎班の症例をデーターベースに登録し、そのデーターはNSGのメンバーであれば誰でも利用でき、研究活動も可能となるようにしました。症例のデーターベースは大学では難治性の脊椎疾患、特に脊髄腫瘍、胸椎OPLL,重度脊柱変形などを中心とし
名城病院では側彎症、中部労災病院では脊椎外傷、そして名古屋第二赤十字病院には脊柱管狭窄症、特にMISTで対応した症例を中心として入力してきました。このように各施設での専門領域を決め、全領域の脊椎疾患をそれぞれ専門的な脊椎治療をやれるようにしました。
── すごく先進的です。それは話し合いか何かで決められたのですか?
そこは私が音頭をとらせていただきました。
またNSG運営事務局は中部労災病院に置かせていただきました。
運営事務局を大学に置いておくと、教授が変わられた後には存続できなくなる可能性があると考えたからです。
── なるほど。
あと、大学の先生は研究費を使っていろいろ研究もできますけど、外病院の先生方は研究費を使えないことが多かった。
ですので、NSGで集めた資金から研究費や学会発表、論文作成に使用した費用を捻出し、脊椎班全員が平等に症例を扱え、研究も可能にすることが一番の目的でした。
── 思慮深くて素晴らしいです。その後のNSGの先生方のご活躍は物凄いですよね。
今回ご紹介する2009年の論文は名古屋大学からの胸椎OPLLに関する報告で、現在広く行われている手術戦略の基になっている論文だと思います。
1997年だったと思いますが、埼玉医大の都築教授が胸椎OPLLに対して広範囲椎弓形成術(pan laminoplasty)を適応されていたことがあり、都築教授のところへ勉強にいかせていただきました。
私は当時まだ卒業して10年足らずでありましたが、見学に行っても都築教授自ら駅まで迎えに来てくださり、また会食を計画してくださったり大変お世話になりました。ここで初めて広範囲椎弓形成術(pan laminoplasty)を見せて頂いたわけですが、この時に一番驚いたのは頭蓋刺激で上肢と下肢の筋電波形を綺麗に導出し、いわゆる運動
ニュウロンのモニター、すなわちMEPをすでに可能としていたことでした。
頭蓋刺激にはドイツ製のD-185高電圧刺激装置を使用されており、我々もすぐ名大でこの刺激装置を購入しMEPの導出に精力を注ぎました。
都築教授が「胸椎OPLL症例では術後悪化する症例もあるんだよ」、と辛そうな顔して言われたのを私はよく覚えています。
その後、1998年に忘れられない症例を経験しているんです。
T2/T3に巨大なビークタイプの胸椎OPLLがある40歳の方で、車椅子で外来に来られました。まず頚椎から胸椎までのpan laminoplastyを行うことを計画し臨みました。頸椎にもOPLLがあり、またT2/T3にビークタイプ巨大OPLLがあったので、C3からC7まで椎弓形成をし、それに加えてT1からT5まで椎弓形成を追加で行う予定でしたが、その術中ですが、T4/T5間の刺間靭帯を切離すると脊髄モニタリングの電位が突然下がったんです。
何も悪いことしてないのになんでだろうと思い、数回繰り返し電気刺激を加えました。ところが電位は何回刺激しても出ない。慌ててエコーで見たら脊髄がビークのOPLLに押し上げられ弓のような形になっていて動かない状況になってる。
これは何とかしなければと思いました。

その日、椎弓根スクリューを他の症例で使う予定があって手術室に置いてあったのを思い出したんです。
それを第1胸椎、第2胸椎と、下は第5、6、7だったかな、椎弓根スクリューを挿入してCantileverの原理を用いて胸椎後弯を戻そうと手術中の咄嗟の判断で行ったんです。
するとエコーでOPLLが脊髄に食い込んでいるのが確認できたんです。
以前、都築先生が術中に悪くなってしまった胸椎OPLL症例では、脊髄後方から脊髄を押してしまっている硬膜を切開して脊髄を緩めてあげるんだ、とおっしゃっていました。
それにヒントを得て、私は椎弓根スクリューを入れ後弯を減らすことによって、脊髄の間接的除圧を得たらどうかと考え、この操作を咄嗟に行いました。そしてエコーで見ると脊髄が骨化巣から浮いたんですね。
cantileverをかけて後弯矯正するのが非常にいいんだなって感じた最初の症例です。
── その症例を経験したことがきっかけだったのですね
その後も、広範に除圧した際に後弯が進行して同様に脊髄がOPLLに食い込んでしまった場合にスクリューを入れて後弯を戻したら脊髄が浮上して改善した症例をいくつか経験しました。
胸椎OPLLに対して後方除圧して、その結果として脊椎が不安定になるのは良くないと考え、椎弓根スクリューを全症例に入れるようにしました。
胸椎OPLLに対して後弯矯正した症例を、術中エコーで脊髄が浮上するかどうか、また固定の意義はどうなのかを調査した論文ですね。
── それまで胸椎OPLLに対する手術は除圧が多かったのでしょうか?
そうですね、このような椎弓根スクリューを用いた手術は一般的にはやられていませんでした。まずその当時は胸椎に椎弓根スクリューを入れること自体が少なく、あまり報告されていませんでしたね。よく考えて頂くと、後方から脊髄を除圧するときには、椎間関節は骨化していることも多く全て切除することになります。特に後方から広範に除圧するような手術だと、椎間関節も含めて後方要素が切除されるので後弯が進行すると思います。
前方に骨化巣がある症例に後弯進行は脊髄にとって具合が悪いと思っていました。
Indirect decompressionと論文で表現しましたが、後弯矯正することで間接除圧ができるというコンセプトです。
── 本当に現在のゴールデンスタンダードになっている治療ですね
後に私の胸椎OPLL治療に関しての講演を都築先生が見にきてくださったことがありました。
「頑張ってるね」と都築先生がニコッと笑って帰られた時に、本当によかったなと思いましたね。

── 浜松医科大学整形外科教授になられたのも2009年。激動の年ですね。
その後、アルプス浜名湖スパイングループを立ち上げられています。
NSGとは別のグループを立ち上げた経緯を教えていただけますか?
浜松に来て山梨大学の波呂浩孝教授と知り合う機会があって、地方の大学が一緒になってやれば大きな力になるぞ、っていうことで意気投合しました。
年に一回、温泉でも入りながら症例検討をして一緒に研究もやっていこう、というのが始まりです。
今年(2020年)は集まれなかったですけどね。
信州大学の高橋淳先生(現教授)にもお声かけして、アルプス浜名湖スパイングループという名称にして3大学で色々やることになったのです。
私の気持ちの中で名古屋大学を出たらNSGは次の脊椎班チーフにお任せするって決めていました。
余計な意見を言うのは絶対やめようと思ってまして、完全に今釜史郎先生(現名古屋大学整形外科教授)にバトンタッチです。
── NSGを作る際に大学外に運営本部を立ち上げたエピソードもそうですが、浜松医科大学に行かれたあとにNSGと距離を置くというのも、とても思慮深い判断ですね。
今釜先生は当時30代でしたけど、彼の人柄やリーダーシップを知っていましたので任せることができました。
本当に彼は地道に一生懸命努力するし明るいので、皆を盛り上げるっていう意味で一番の適任者だと思いました。
私も彼の人柄が大好きでしたから、基本的に一旦離れたら余計なことは絶対に言わないと決めて。
私もチーフになったのが今釜先生と同じぐらいの年齢だったので、苦しい思いをすることも良くわかっていたのですが、困った時は何でも言ってくれれば手助けするよ、っていうことで彼に脊椎班チーフになってもらいました。
Skin to skinで脊椎治療を伝える
── 浜松医科大学で脊椎を立ち上げるということで、名古屋大学から先生の右腕のような医師を連れていくような考えはなかったんですか?
たしかに私が行く前の浜松医科大学は、年間に10例程度と脊椎手術症例は少なかったですね。
教授に就任したとき、「私は専門なので脊椎やるけど、やりたいやつおるか?」って聞いたら、4人が手を挙げてくれました。
それで私は彼らと一緒にやってこうって決めました。
まず、学長には手術で忙しくなるので教授会議には出れませんと言いました。

教授会議には出られないと言ってしまっているので、大きな脊椎手術をたくさんやるしかないです、笑。
赴任して早々にtotal en bloc spondylectomy、胸椎OPLL、脊髄髄内腫瘍、側彎症と難治症例の手術予定が入りました。
Skin to skinで、自分自身で周りにイチから脊椎手術を伝えていく覚悟でした。
私が名古屋大学から誰か連れていくと、浜松医科大学のメンバーのモチベーションが下がってしまうんじゃないかと思ってたのですね。
── ガラリと教室の雰囲気が変わったと想像します。
脊椎をやっていくというのはこういうことだぞ、と伝えていました。
術後管理も非常に大事なので、医師も病棟も大変だったと思いますが、彼らは歯を食いしばってついてきてくれました。
あの時は大変でしたが、楽しかったですね。
#03に続く
こちらの記事は2021年1月にQuotomyで掲載したものの転載です。