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【田中栄先生 #01】Nature論文誕生秘話

本編に登場する論文

c-Cbl is downstream of c-Src in a signalling pathway necessary for bone resorption
S Tanaka, M Amling, L Neff, A Peyman, E Uhlmann, J B Levy, R Baron
Nature. 1996 Oct 10;383(6600):528-31.

破骨細胞との出会い

── まず、先生と骨代謝領域との出会いを教えてください。

ヒストリーを言えばですね。整形外科に入ったときは普通の整形外科医を志す人と同じように、スポーツ整形やりたいとか思ってて、、、膝診(注:東大整形外科教室の膝診察グループ)に入ってたんですよね。だから、一番初めの論文は膝ACLの論文なんです。

── 衝撃です(笑)

その後、三井記念病院に赴任することになったのですが、リウマチ専門の先生がいらっしゃったんです。そこでリウマチ患者さんをたくさん診察させていただいて、当時は良い薬もなかったので、骨破壊のひどい患者さんも多く、関節リウマチは大変な病気だなと思いました。
その時に、整形外科分野って実はわかっていないことが多いなって気づいたのですね。
特に基礎研究がほとんどなかった。
臨床現場で骨を診ているのだから骨のことを知らなければならない、と漠然と考えていたけど、どうしたら良いかわからなかったですね。

そんな時に、日本のVit.D研究の第一人者であった昭和大学の須田立雄先生が、東大に講演会でいらっしゃったんです。
講演会の内容をすべて理解できたわけではないけど、とても進んだ研究をされていると感銘をうけました。私は1987年大学卒業なのですが、1990年に東大の大学院に入学し、昭和大学須田先生の教室に3年間お世話になりました。
この3年間は破骨細胞の基礎研究に打ち込んで、ある程度は自分で基礎研究ができるくらいまで育てていただきました。

留学時代

須田先生の教室で破骨細胞に非常に興味がでましたので、せっかくだから留学したいなぁ、と思っていました。
須田先生と仲の良かったバロン先生(Yale大学医学部 Department of Orthopedics and Cell Biology)のところに1993年からいけることになり、そこでも破骨細胞の活性化のメカニズムの研究を3年間しました。
計6年間、基礎研究をしていたことになります。

── そこで、今回ご紹介いただいたNatureの論文が誕生したのですね。

簡単に論文の要旨を伝えると、破骨細胞の活性化にc-Srcおよびc-Cbl遺伝子が大事ですよ、っていう論文です。
当時は破骨細胞がどうやって骨を吸収するか全くわかっていませんでした。
新規性があったのでNatureに掲載されたのですね。
須田先生のところでも3本論文書いていて迷ったのですが、Natureということもあり、こちらを紹介することにしました(笑)

── 癌遺伝子として発見されたsrc遺伝子と破骨細胞が関係するのはわかっていたことだったのですか?

src遺伝子というのは、最も初期にみつかった癌遺伝子の1つであり、もともとはラウス肉腫ウィルスという癌ウィルス遺伝子として同定されていました。
正常な細胞の中にいるsrc遺伝子が変異すると癌になることはわかっていたのですが、正常な細胞でのsrc遺伝子の役割がわかっていなかったんです。驚いたことに、破骨細胞の活性化に関係していたんです。
src遺伝子ノックアウトマウスの研究で破骨細胞がおかしい、と論文がでていて、いくつかの研究室がここに着目して競争していたのですね。
けど、蛋白レベルでsrc遺伝子が破骨細胞活性化にどうして大事かはわかっていなかった。

── 基礎研究の分野で、日米で進め方っていうのは違うのですか?

よく言われているかもしれませんが、動物の世話をしてくれる人がいたり、試薬を作ってくれる人がいたり、研究のサポート体制は違いますね。
けれども、論文執筆はもちろん自分でしていますので、そういう意味では日米の大きなギャップは私は感じなかったですね。
ただ、共同研究が凄く上手なんですよね。
アメリカ、特にイェール大学では有名な人もいっぱいいるし、ノーベル賞をとったような人とかも周りいたりして、そのようなグループと共同研究するとか、そのあたりがスムーズに行われていたような気がします。

なかなか日本だと壁があって、何かと共同研究にハードル高いと思っていたのですけど、、、
アメリカに来てから、自分ひとりでできることは限界があって、共同研究することでさらに成果が出るんだなと印象に残りました。
src遺伝子ノックアウトマウスも、バロン先生がBaylor大学のソリアーノ先生から送ってもらい使用できるようになったのですね。
そもそもsrc遺伝子ノックアウトマウスを使いたい、というのが私のバロン先生の下での留学のモテベーションでした。

── ノックアウトマウスを使用した研究テーマを日本から留学にきた若手研究者にポンと与えてくれるものですか?

須田先生とバロン先生が仲良かったこともあったので、日本でやっていたことの続きをある程度やれる環境を用意してくれていました。
バロン先生から私が日本でやってた研究内容に絡めたテーマをやらせてもらえることになったのです。
で、与えられたテーマを実際やってたんですけど、何かどうも違うんじゃないかっていう風に途中から思い始めていました。
これだと結果が出ないじゃないかって。
そこで、自分で勝手にをテーマ変えて研究したりもしてました。
本当はやっちゃいけないかもしれないですけど(笑)、グラントの関係もあるし。
でも、ある程度の柔軟性も許容してくれたので、最初に考えていたのと全然違う結果でNatureに論文を載せることができたのです。

── 凄いです。Natureに載ったりすると、研究者として米国に残るという選択肢もでてきそうですが?

そうですね。研究好きだったし、続けられたらよいなと思っていました。
バロン先生も残ったら?って言ってくれてましたし。

── Nature出してたら、そうなりますよね!

けど、帰国することにしました。
まず、英語があまり好きではなくて、言葉のハードルを感じていたのですね。
また、ここで整形外科医をやめてアメリカに留まると、例えば須田先生の教室に送ってくれた黒川先生とか、申し訳ないと感じる人たちが多くて、一度は整形外科に戻らないといけないと思ったんです。

── それで帰国されて、そこからずっと東京大学勤務ですか?

医局から「まず武蔵野赤十字病院に行くように」っていわれて、臨床のリハビリテーションをさせていただくような良い時間を過ごさせていただきました。その後に、中ベンとして東京大学に戻ったんです。

#02に続く

こちらの記事は2020年11月にQuotomyで掲載したものの転載です。