
【稲葉裕先生 #03】エリートに負けない勝ち方
本編に登場する論文
The current status and future prospects of computer-assisted hip surgery
Yutaka Inaba, Naomi Kobayashi, Hiroyuki Ike, So Kubota, Tomoyuki Saito
J Orthop Sci. 2016 Mar;21(2):107-15. doi: 10.1016/j.jos.2015.10.023. Epub 2016 Feb 2.
── 稲葉教授は小児整形外科との関わりが深いということがよくわかりました。
先生は感染やDVTに関する分野もたくさん知見があります。
これらはどういった経緯で発展していったのでしょうか?
横浜市立大学整形外科は、先代教授の齋藤知行先生も先々代教授の腰野富久先生も膝関節で凄く有名でした。
腰野先生は高位脛骨骨切り術を日本に初めて持ち込んだわけですから。
正直に言って、横浜市大の股関節グループは、膝グループと比べると発信する歴史があまりなかったのです。
大学にきて股関節グループに入って一緒に働いた先生が、平川和男先生(現・湘南鎌倉人工関節センター院長)で、クリーブランドに3年留学に行って、色々な論文をドンドン出して凄いアカデミックな先生でした。
その平川先生が附属市民総合医療センターに講師に出られてしまって、私が医師12-13年目で股関節グループのチーフになったのです。
大学院生に入ってもらって、どんどん研究から論文を出して学位を取ってもらわなくてはならない立場になって、テーマを与えなければならなくなりました。
そこで、チーフになって最初にこの股関節グループを発展させていく時にどうしたらいいか?って考えました。
股関節の歴史がある教室がやるような、例えば「今までやってきた手術の30年成績」などの長期成績を述べる歴史が全然ないのです。
そんな中で私たちが勝負できるのは、歴史じゃなくて、新しい視点。
メインストリームじゃないけど、合併症としては重要なトピック、例えば感染やDVTですね。
そういうところにフォーカスをあてていけば私たちも勝負できる、そういう考えでこの分野の研究を始めたのですね。

その当時、僕の下に小林直実先生がクリーブランドクリニックへの留学から帰国してきました。
彼が留学先のクリーブランドでやってきたのが、インプラント周囲感染を疑う症例にPCRで細菌性のDNAを同定するという研究でした。
それまでの教室からの留学をふりかえると、せっかく留学先で研究してきたテーマも、日本に帰国したら全く続かなくなってしまっていました。
そこで、彼が帰国するにあたっては、「PCRを何とか横浜市大学でもやろう、まず手術中にすぐ調べられるように何とかできないか」と。
手術は全部僕がして、小林先生がラボ役というか、医局で待機して手術から提出された検体を全部PCRかけて、っていうのをずっとやっていましたね。
トピックとしては新しいもの、そして長期成績のような時間を必要とするものではなく、すぐ形になるものを探していました。
特に感染やDVTに関する研究はそういう視点でずっとやってきています。
骨盤傾斜とかナビの開発とかにも繋がっていきます。
── 勝てるポイントを見極めて、そこにリソースを投入する。素晴らしいです!
それと気をつけていることは、いくつかのテーマを並行して走らせるようにすることですね。
股関節チーフの私の下に4-5人いたので、彼らに全部違うテーマを与えなきゃいけない。
それで小児整形のテーマを与えたり(第2話参照)、ってやっていましたけども、テーマは1個だけじゃいけない。
「あそこの医局は、〇〇は凄いけど、そればっかり」っていうのじゃなくて、いくつかのテーマを走らせるように考えています。
もちろん、テーマの中には上手くいかなくなるものもあるかもしれないですけど。
いま何がトピックスなのか、何をやれば面白いのか、何をやったら受け入れられるのかっていうテーマをいくつか探さなきゃいけない。
チーフになって5-10年は国内の主要な学会には必ず行ってましたし、あとアメリカのOrthopaedic Research Society(ORS)とAmerican Academy of Orthopaedic Surgeons(AAOS)は必ず行って、今、アメリカでは何がトピックで、何が問題で、何が新しいのか、という情報を常に仕入れるようにしていました。
── とても参考になります。

── 今回、御紹介いただく論文はナビゲーション論文です。
こども医療センターの時に、小児整形外科で多くの骨切り術を経験しました。
ただ、まだ医者になって5-8年目とかで、どう計画しても上手くいかない時もあって無力さを凄く感じていました。
留学先のDorr先生のところでナビゲーションを見た際には、アメリカは人工関節ばっかりなので、人工関節のカップの設置位置を決めたり、脚長を計算したりとかっていうのでナビゲーションを使ってました。
けれども、自分としては本当は正確な骨切り術を実施するためにナビゲーションを使いたいと思っていたのです。
帰国してナビゲーションを最初は人工関節に使い出しましたけど、なんとか骨切り術に使えないかっていうことを試行錯誤していきました。
そういうことを積み重ねながらやっていくと、だんだんできるようになってきました。
すると、韓国の整形外科学会から呼ばれて教育講演した時の話を論文に書いてくれと頼まれたりするようになりました。
海外に行ってもそういうことをやってるところがないので、注目されるようになったのだと思います。
「やっぱできないな」とか「ちょっと無理だな」っていうんじゃなくて、とにかくやれるところから何か始めて、だんだんとできてくるっていうのが大事なのかなと考えてます。
── なるほど。
先行していたアメリカでもナビゲーションを骨切り術に応用するのは、あまりやられていなかったのですね。
その当時、大阪大学が研究レベルでたくさんやってたんですけど、まだ実用までいってなかった。
とりあえず実用的に臨床でやってみようと使い出したのは我々がかなり先行していたと思います。
今は応用している施設も多いと思います。
大阪大学の菅野伸彦先生はこの分野の第一人者で素晴らしくスマートな先生です。
少し話がそれますが、、、菅野先生や大阪大学股関節グループの先生達って本当に凄い人たちばかりなんです。
私は彼らを股関節エリートって呼んでるんですよ。
整形外科に入局して股関節グループに入って、ずっと股関節の第一線で頑張ってきているエリートです。
自分自身、股関節を本格的に始めたのは医師歴10年以上経ってからですし、若い頃からずっと股関節グループで仕事するというシステムが横浜市立大学整形外科医局にはない。
ですから、そういう股関節エリートに立ち向かうためにはアイデアで行かなきゃいけないんだ、っていうのは医局の皆には時々言っています。
大阪大学の股関節グループは本当に凄いので、何とかそこに少しでも近づけるようにっていうのが股関節始めた時からの目標ですね。

── 2018年に教授就任され、股関節グループのチーフではなく整形外科教室のトップになられました。
どんなことを気にかけていらっしゃるのでしょうか?
2018年に教授になってから、臨床から医局運営に役割がシフトしています。
まず、各診療グループにそれなりの研究費を配分することで責任を持たせるようにリフォームしました。
四半期ごとにグループがやった手術件数、論文数、学会発表の数をチーフミーティングで明らかにして、その数字に掛けた研究費を配分しています。
お金を取ってくることは私の役目だから、頑張れば研究費を渡すから皆はどんどん活躍の場を広げて行ったくれ、と。
教授になってからの個人的な目標は手術件数を年間100件ずつ増やすということです。
いま教授就任3年目なのですが、順調に伸びて手術件数が年間1000件を超えました。
組織としては、3年間で若手や中堅を中心とした新しいグループの基礎をつくる。
5年で私がいなくても動く組織にするようにしたいです。
実際、各診療グループは頑張ってくれていて、手術件数も在院日数も改善しています。
入局者も増えていますし、この医局を活気あって、働きやすくて、夢がある存在にしたいですね。
皆に言ってるんですけど、医局は利用する場所だと。
医局にいてキャリアをつくる、とか。留学したりとかもそう。
皆が利用する場所にしよう、ということでやってますね。
あとは、週3回のカンファレンスのプレゼンテーションは全て英語にしました。
最初はみんな凄い準備をしてメモを見ながらプレゼンしたり、日本語で「すいません」とか言いながら質疑応答したりしてました。
けれども、もう今は普通に英語でプレゼンテーションできるようになってます。
凄いですよね。特に若い人たちは皆凄いなと思っています。
── 素晴らしいですね。稲葉教授、ありがとうございました!
こちらの記事は2021年6月にQuotomyで掲載したものの転載です。