手術室でも医局でもない、
外科系医師に開かれたオンラインでの研鑽場所

【#03 橋本悟先生】データに基づく集中治療を目指して

── JIPADのプロジェクトを始めたきっかけはなんですか?

日本には集中治療を受けている患者のレジストリがないという状況でした。
これは長きに渡って私の先輩方もずっと悩んできたことであり、これを解決する必要があると思ったのがはじまりでした。
この結果、我々が作ったのがJIPADです。
これはAustralian New Zealand Intensive Care Society(ANZICS)が1990年代初期に始めたレジストリを参考にしたものです。
もともとのプロジェクトは、名古屋大学にいらした武澤純先生という方が始めたものでした。
私もその下でお手伝いしようと2010年頃から参加したのですが、あれよあれよという間に竹澤先生が亡くなられてしまいました。
その後に誰が引き継ぐかというところで、私がやることになった訳です。
2011年に集中治療医学会で委員会を発足させ、4年間かけて下準備して、2015年から8施設からスタートしました。
この間、重症患者レジストリの先進であるANZICSのDavid Pilcher先生や、スコットランドを除いてイギリスの全てのICUが参加しているレジストリを主催しているIntensive Care National Audit & Reserch Centre(ICNARC)のKathy Rowan先生といった、この領域の重鎮達にお願いして慈恵医科大学附属病院集中治療部に所属されていた内野滋彦先生とともに両組織のやり方をじっくり学ばせて頂きました。

JIPADでは、国際比較を行いやすいようにANZICSと同じコードを使わせてもらっています。
しかしながら、このANZICS式のコードは結構複雑で、入力するのも少し手間がかかります。
そのため理事の先生からは、ICUで忙しく働いているスタッフには大変すぎるのではないかという意見も頂いたのですが、国際標準に合わせるために私が押し切って今の形にさせてもらった次第です。
医療機器メーカーの担当者とも相談して、バイタルサインデータなどを自動取得できるようにして少しでも負担を減らしつつ、現場で役立つよう今まで改良を重ねてきました。

── 2018年からDatathon Japanの日本開催に関わっていらっしゃいますが、どのような経緯で始まったのでしょうか?

Datathonとは、ICU患者のバイタルサインをはじめとした匿名化されたクリニカルデータセットを用いてチームごとに機械学習などによる予測・分類を行い、その正確性を競う大会のことです。
もともとは、10年ほど前にサンフランシスコでの学会で知り合った重光秀信先生(当時・東京医科歯科大学生体集中管理学教授)の繋がりで実現したものです。
彼のレジデント仲間であったHarvard大学のLeo Anthony Celi先生が中心となってMassachusetts工科大学とHarvard大学共同でDatathonを主催し、世界各地を行脚しておられました。
そのうちに日本でもDatathonをやりたいとのことで、まず重光先生に声が掛かり、一緒にやろうということで重光先生から私にお話を頂きました。
2018年に第45回会集中治療医学会学術集会でDatathon Japanを初開催し、翌年私が会長を務めた第46回学術集会で2回目を開催致しました。
残念ながら、2020年からはコロナ禍の影響で2年連続中止となっているのですが、この間シンガポール国立大学とオンライン開催を行っています。
このように、ひょんな事から人の輪が広がっていって、Harvard大学やシンガポール国立大学などのデータサイエンティスト達と繋がることができました。
今後は、JIPADのデータをDatathonに提供して日本のICUにおける重症度予測といったことをやっていこうと考えております。

── さらに新型コロナウィルス感染症(COVID-19)のレジストリである横断的ICU情報探索システム CRISIS (Cross ICU Searchable Information System) にも関与されていますね。

2020年春には国内でもCOVID-19が拡大してきたことを受けて、緊急時のためのレジストリも必要だろうと考えました。2009年の新型インフルエンザパンデミックのときから国内でのECMO普及に取り組んでこられた竹田晋浩先生(かわぐち心臓呼吸器病院 院長)とも相談して、新たにレジストリを立ち上げようという話になりました。彼とは古くからの盟友なのです。そして、人工呼吸やECMOを使用しているCOVID-19重症患者専用に立ち上げたのがCRISISです。このCRISISは、ベースはJIPADと同じような仕組みで出来ており、ローコードプログラミングが可能なFileMaker Proというアプリケーションを用いて、わずか3日間でレジストリのフォームを作り上げ、2週間後には各施設がデータを入れられるように急ピッチでリリースしました。CRISISも多くの施設で使って頂いており、現段階で1万件以上の重症COVID-19患者のデータが集まってきています。JIPADを作る際にも用いたローコードプログラミングというのは、高度なプログラミング言語の知識がなくても、少ないコーディングで開発ができる方法です。そのため、まるでプラモデルを組み立てるようにパーツを組み上げていくことで、比較的シンプルに作りたいものを実現できます。

── 今後2つのレジストリをどのように活用されていこうとお考えですか?

平時のJIPAD、緊急時のCRISISと私が関わってきた2つのレジストリをオーバーラップさせていく仕事も進めていました。
一方で、これを学会主導で進めていくことに限界を感じていました。
そのため、集中治療コラボレーションネットワークICON (ICU CollaborationI Network) というNPO法人を2021年2月に設立して、初代理事長を務めています。
ICONでは、ICUにおけるICT化を推進し、AIを使った重症度予測といったような重症患者データの利活用を進めていく活動ができればと思っております。
私は来年の3月に退官予定ですので、その後の仕事ができたならなという感じです。

他にも、ICONでは院内Rapid Response System(RRS)のICT化もお手伝いしています。RRSでは通常、病棟からのコールを受けて駆けつけますよね。
一方、我々の作ったシステムでは電子カルテ上の経過表からバイタルサインデータを自動取得し、一般病棟にいる重症化リスクの高い患者をピックアップして集中治療医にアラートします。
これにより、状態が悪化する前に先回りして対応することを可能にします。
今までにいくつかの病院へ出張して、このシステムの設定をしてきました。

── JIPAD・CRISISの臨床研究への今後の活用はどのような形になっていきますか?

東京大学発の救急スタートアップ企業TXP Medical株式会社と共同して、Electronic Data Captureで取得したデータを色々な角度から分析することで、複数の後ろ向き多施設研究への利用を始めています。
将来的には前向き多施設研究を出来るようにしたいと考えていますが、まだまだお金とヒトが足りないというのが正直なところです。
一方で、ANZICS・ICNARCはそれぞれ1億5000万円、3億円ほどの予算があり、システムエンジニアやデータサイエンティストも多く所属しています。
こういった背景からオーストラリア・ニュージーランド、イギリスのICUからはメジャーなジャーナルに載るような大規模研究がたくさん出てきています。
また、現状のJIPADもそうですが、日本ではデータ入力はほとんど医師がやっているかと思います。
オーストラリアなどではデータ入力を看護師やデータサイエンティストがやってくれることが多いです。研究に関わることで、彼ら自身のプロモーションにもなるようです。ICONがそのための手助けとなるようであれば幸いです。

── レジストリから得られるビッグデータを基にしたAI開発も視野に入ってくるかと思いますが、集中治療でのAIの活用に関してはいかがお考えですか?

より安全で確実な集中治療を目指す上で、現場でのミスを減らすようなAIは実現できるのではないかと思っています。
例えば、鳴り響くアラームを何度も止めるといったことはICUでは日常茶飯事ですが、急変の予兆となる真のアラームを知らせるAIだったり、医療の標準化を助けるAIなどを作っていけたらと思っています。

── 最後に後続医師へのメッセージをお願い致します!

脂の乗り切った中堅の先生方や、たくさんの優秀な若い先生方と知り合うことができたので、日本の集中治療の将来に関して全く心配しておりません。
私はまもなく第一線からは一歩退きますけれども、別の形でサポートしていこうと考えています。頑張って下さい!

── 橋本先生、貴重なお話をありがとうございました!

こちらの記事は2021年9月にQuotomyで掲載したものの転載です。